★ 妖幻大王と装う人々 ★
<オープニング>

 三日三晩不眠不休で走り回らされた唯瑞貴は、さすがにちょっとぐったりしていたが、用意された『罰』に対する恐怖の故なのか、それとも元々やるべきことはきちんと果たさなくては気がすまない性分だからなのか――多分、その両方だろう――、様々に有用な情報を抱えて『楽園』に戻ってきていた。
「そんなわけで、前回得た情報を元に、植村に協力してもらって調査してきた。その結果、鎌鼬たちの主人は確かにこの銀幕市に実体化しているということが判った。彼らの証言と、市役所とカフェで何度か目撃されている女性の姿かたちが一致したんだ」
「では……その彼女は、今、どこに?」
「ああ、それなんだが、ちょっと厄介なことになっているみたいでな」
「厄介なこと?」
「ああ。レーギーナは知っているか、今、銀幕市の女たちが何十人も行方不明になっていることを」
「行方不明? ……いいえ。銀幕ジャーナルにも、そんな記事は載っていなかったと思うけど」
「そうだな、行方不明というのは語弊があるか。彼女らは自らの意志で行方をくらませているんだから」
「どういうこと? ……ああ、そうか。その行方不明者の中に、あの子たちのご主人様が入っているのね?」
「そうだ」
「では、その行方不明者たちは、どこへ消えているの。あなたのことだから、それもきちんと調べてきたんでしょう?」
「当然だ、銀二よりもすごい格好とやらで店の外にさらされるのはごめんだからな。結論から言うと、彼女らがいるのはムービーハザードエリアの中だ。『悟空娘々、天竺へ』という中華風ファンタジー映画の一場面が実体化したものらしい」
「そう……。わたくしあまり他の映画には詳しくないのだけど、確か、ありがたい経典を求めて旅をするお話だったかしら。三蔵法師一行が全員女性になっていると聞いたことがあるような?」
「ああ、概ね間違いない。植村の話によると、その中に、妖幻大王という妖怪の王が出てきて、まぁこれが三蔵法師一行と一悶着起こすらしいんだが、女たちはどうやらその大王のところにいるらしい」
「もしかして、ひどいことをされているの?」
「いや、そもそも映画自体がコメディだったからな。大王は酒好きで女好きだが、洒落も解する陽気な男で、残酷な暴君ではないようだ。お陰で被害届も出ていない。女たちは、自分の意志でそのムービーハザードへ赴き、長い時間滞在しているだけなんだ」
「ならいいのだけど。では何故厄介だというの? そこで何が起きていて、何が彼女らを引き止めているの? 鎌鼬君たちの主人が、彼らを放っておいてまで滞在する理由があるのでしょう」
「すまない、そこまでは残念ながら判らなかった。私に調査できたのは、そのムービーハザード、妖霊城に入るには、絶対的な掟、必要な条件があるということだけだ」
「……掟?」
 何度目かのやり取りのあと、レーギーナが首をかしげると、唯瑞貴はなんともいえない顔をした。
「調査は必要だと思う、絶対に。大王は、今はまだ無害な存在だが、いつそれが変貌して、女たちに無体を働かないとも限らないから。ただ、」
「ただ?」
 レーギーナが催促すると、唯瑞貴は複雑なため息をつく。
「……妖霊城には、女性しか入れないんだ」
 言った後、ため息とともに訂正する。
「正確には、女性の出で立ちをしたものしか、なんだが」
「あら、まあ」
「三日前のアレとものすごくかぶるな、本当に。対策課に依頼をして、調査の手伝いをしてもらうのが一番だと思うんだが、確かに私も、本物の女性だけに頼むのは危険な気がする」
「なるほど、それで唯瑞貴君はそこまでしか調べられなかったわけね」
「勘弁してくれ、これでもかなり頑張ったんだぞ」
「……まぁいいわ。では……そうね、前回と同じく、殿方にお願いしましょうか。準備はすべて、『楽園』スタッフが受け持つということで」
「ああ、そうだな」
「唯瑞貴君も手伝ってくれるわよね?」
「う」
「……どうもありがとう、助かるわ」
「いや、その」
「前回は唯瑞貴君の素敵な装いが見られなかったのだもの、今度こそ、ね。さて、なら、もう一度対策課に行ってきましょうか。それほど危険なことにはならないような気がするけれど、警戒は必要よね」
 なし崩しに参加を決定されてしまった唯瑞貴が微妙極まりない表情で沈黙したことなどお構いなしに、レーギーナは行動を開始する。

 ――実を言うと、三日前のあれがとても楽しかったから、依頼にかこつけてまた見たくなった、だなんて、口が裂けても言えないわね、などと胸中につぶやきつつ。

種別名シナリオ 管理番号74
クリエイター犬井ハク(wrht8172)
クリエイターコメントこんにちは、女装ネタ第二弾のお誘いに参りました。
『切り裂きジャックと装う人々』の続編ですが、こちらでけでもご参加いただけます。

今度の相手は酒好き女好きの妖怪大王陛下。
人間に危害を加える相手ではないようですが、完全に安全だとも言い切れません。その調査と、彼の元にとどまる、鎌鼬君たちのご主人を連れ戻すことが今回の目的です。

前回同様、このシナリオもコメディ一辺倒。突っ込みどころ満載、セクハラ乱舞、のお話になるものと思われますので、苦手な方はご注意くださいませ(突っ込み体質の方には楽しんでいただけるのではないかと思います)。

ご参加くださる方は、衣装の指定と(犬井にお任せくださっても結構です)、ノリノリ参加か嫌々参加か(お話的には後者の方が面白いです)、そしてその他どんな行動をさせたいかをご記入いただければ幸いです。

それでは、皆さまのご参加を楽しみにお待ちしておりますv

参加者
バロア・リィム(cbep6513) ムービースター 男 16歳 闇魔導師
神宮寺 剛政(cvbc1342) ムービースター 男 23歳 悪魔の従僕
シャノン・ヴォルムス(chnc2161) ムービースター 男 24歳 ヴァンパイアハンター
エンリオウ・イーブンシェン(cuma6030) ムービースター 男 28歳 魔法騎士
本気☆狩る仮面 あーる(cyrd6650) ムービースター 男 15歳 謎の正義のヒーロー
一乗院 柳(ccbn5305) ムービースター 男 17歳 学生
クレイジー・ティーチャー(cynp6783) ムービースター 男 27歳 殺人鬼理科教師
<ノベル>

 悪夢再び――ようやく平和な日々を取り戻したかに見えた町を、更なる惨劇が襲う!

 って、こんな感じかなぁ。

 などと、B級スプラッタホラー映画のアオリ文句のような文言を脳裏に思い浮かべつつ、一乗院柳は諦観めいた溜め息をついていた。
 手持ち無沙汰にたたずむ彼の周囲には、前回と同じような状態の店内で、数多の植物に絡みつかれた人々が、一体何が起きたのか判らないといった表情でごろごろ転がっている。
 前回から引き続いた形で依頼を受けたため、柳だけは植物の牢獄に囚われずに済んでいるが、これからしなくてはならないことを考えるとラッキーとかそういう問題ではない。
「……えぇと……その、なんだ。俺は確か対策課を通じて正式に依頼を受けたはずなんだが……別に逃げも隠れもしないと言っているのに、何でこんな死刑囚もびっくりな拘束をされてるんだ……?」
 四方八方からツタのロープに絡みつかれて芋虫のようになったシャノン・ヴォルムスが、ちょっと驚きを隠せないよ俺的な愕然とした表情でつぶやく。なまじものすごい美形だけに、そのあまりのギャップに、かえって間抜けさが際立ってしまう。
 こういう仕事に関しては、美形すぎるのも考えものかもしれない、と柳は思った。余計なお世話だろうが。
「というか、そもそもなんでこの依頼を受けたんだろうな、俺。別に俺がいなくてもなんとでもなったんじゃないか、これ……。やはりアレか、先日の幻術使いに見せられた幻が原因でちょっと疲れてるのか。そういえば、依頼を受けたときの記憶が希薄だな、うん。――この場合、いっそ、俺の馬鹿! とか罵っておくべきなんだろうか」
 ものすごい真顔で、恐ろしく根本的な自問自答を現実逃避気味に始めるシャノンの上空では、
「ちょっとレーギーナ女史! 僕は呪いを解く方法を教えてもらいに来ただけで、依頼を受ける気はまったくないんだけど!? っていうかそろそろ解こうよこれ! 揺れるたびにちょっと酔……うぷっ」
 同じくツタに絡みつかれて芋虫のようになったバロア・リィムが、蓑虫よろしく天井から吊り下げられている。前回の某氏たちのように逆さ吊りでないだけまだマシだろうが、植物たちがわさわさ身動きする所為で強制的に揺さぶられるのはあまりありがたくないかもしれない。
 事実、バロアの顔色は徐々に悪くなってきていた。闇の道を探求する魔導士というシリアスでダークな設定を持つムービースターとしては、かなりしまらない状態だ。
 銀幕ジャーナルによると、バロアもレーギーナの依頼を受けたことがあるようだが、まさかあんな重苦しい、痛みと哀しみに満ちた事件のあとに、こんな馬鹿馬鹿しくも恐ろしい仕事を半分以上強制的に請ける羽目になるとは思ってもみなかっただろう。
 むしろ、吸血鬼ハンターや闇魔導士などという、シリアスな職業および役柄の人々を思う存分女装させようというレーギーナがまず判らない。というか正直言って怖い。
 それが森の女王クオリティ☆なのだとしたら、恐ろしい話だ。
 この先犠牲者は増すばかりである。自分を含めて。
 しかし、血も凍るような思いを味わっている柳など知らぬげに、
「んん……でも、すごいねぇ。緑たちがまるで、楽しげにささやきを交わしているかのようだよ、ここは。なんて瑞々しいエネルギーなんだろう」
 自分も荒縄のようなツタに絡みつかれているくせに、まったく動じることなく、むしろ楽しげに『楽園』の植物群を見上げているのは、銀幕市のおじいちゃんことエンリオウ・イーブンシェンだ。
 こちらも、清冽さと凛々しさの同居したすごい美形なのだが、中身は夕飯を食べたことすら忘れ去るボケ老人で、エンリオウの隣にいると縁側で熱いお茶を啜りたくなるのは、きっと彼の人徳だろう。
 いわゆる和み系である。
「そうは思わないかい、アルくん」
「いえあの、出来れば今はその名で呼ばずにおいてくださると大変助かるのですが。しかし、エンリさんは大物ですな。この危機的状況にもちっとも取り乱しておられないのですから」
 エンリオウと背中合わせでぐるぐる巻きにされつつ嘆息するのは、銀幕市に突如として出没する正義のヒーロー、本気☆狩ると書いてマジカルと読む銀幕市のイロモノの片割れ(被害者という説も濃厚である)、あーるだ。
 今など本気☆狩る仮面の扮装すらしておらず、彼が誰なのかということは自明の理なのだが、ばればれと知りつつあまり大っぴらにはしたくないようで、空気を読めないエンリオウに、まったくの素で実名を呼ばれてちょっと遠い目をしている。
「おやおや、そうだっけねぇ。わたしはほんとうに物忘れがひどいから……ごめんごめん」
「ええ、それは存じ上げております。すでに今実害を被りましたので。……いやもうそれはどちらでも構わないですから、とりあえずさっさとやるべきことを終えてしまいたいのですが」
 盛大な溜め息とともにあーるが言うと、その少し手前で、
「おう、俺もそう思うぜ。苦痛な時間はなるべく短い方がいいからな」
 色っぽいハスキー・ヴォイスで、背の高い女性が雄々しく応じた。表情は苦虫を噛み潰したかのようだ。
 筋肉質で上背のある、引き締まった肢体の女だが、しかし、女性であるはずなのにツタのロープで超・拘束中である。
 最初、レーギーナの好みじゃなかったんだろうか、などと失礼なことを思った柳だったが、話を聞くと、このムービースター、どうやら、そもそも男性であるのを、主人に魔法か何かで女性の身体にされて送り込まれたものであるらしい。
 言動の端々に男性らしい大雑把さがにじむのは当然のことだ。
 レーギーナがその根本、本質を看破したがゆえに、彼と呼ぶべきか彼女と表現するべきかの判断が非常にデリケートなムービースター氏はぐるぐる巻きにされたのだろう。
「神宮寺さんはまだいいじゃないですか、女の人の姿をしてるわけですし、女装とは言いませんよ」
 フォローのつもりで柳が言うと、神宮寺剛政という名のムービースターはまたしても苦虫を噛み潰したような顔をした。
「違和感って点じゃそうかもしれねぇけどな、依頼を完遂しなきゃ元の姿に戻さねぇって言われてんだよ、あのジジイに。ったく冗談じゃねぇよな、そんなに気になるならてめぇが女装して行けっつーんだ」
 どうやら同じような文言を主人の前で口にした所為で今に至るようだが、剛政に反省の念は皆無のようだった。むしろ、あのジジイ帰ったらぶっ飛ばす、などと悪態をついている。
 なんにせよ、ひとまずこのメンバーでくだんの妖幻大王の元へ向かうことになるらしい、と、柳が絶賛拘束中の人々を見渡していると、
「お招きしておきながら遅くなってごめんなさい。お待たせしたわね、準備が出来たから、始めましょうか」
 輝かんばかりに美しい、神々しい雰囲気を身にまとった女が、やはり輝くような美貌の娘たちを伴って、一同の元へやってくる。
 にこにこ笑って「よろしくお願いします」と口々に言う森の娘たちの、白くてたおやかな手には、色とりどりの美麗な衣装および装飾品があった。布地の高価さといい縫製の確かさといい、今回もかなり気合が入っているようだが、そんな気合、まったくもって要らない。
 戦々恐々としている一同を、神々しい緑の双眸で見渡した女王陛下は、
「そう……集まったのは六人なのね。衣装は七人分あるのだけど……」
 ちなみに唯瑞貴君はもう現地に向かっているわ、とっても可愛いわよ、などと、誰も聞いていないのに教えてくれる。
「せっかくだから……七種類とも全部着てほしいわよねぇ」
 どうしようかしら、とレーギーナがつぶやいたのと、
「YA−HA! こんにちハー、レーギーナクン、遊びに来たヨー!!」
 甘味王とでも称すべきスイーツイーター、クレイジー・ティーチャーがものすごい勢いで『楽園』に突っ込んできたのはほぼ同時だった。
「まあ……!」
 絶妙のタイミングにレーギーナの目が輝く。
 森の娘たちも、クレイジー・ティーチャーの凶顔に怯むことなく、目を輝かせて彼を見つめた。
「いらっしゃい、クレイジー・ティーチャーさん。ダンスパーティでは声をかけてくださってどうもありがとう。皆が呼ぶように、わたくしもCTさんとお呼びしていいかしら?」
「ああ、ウン。好きなように呼んでくれていいヨ。ここのスイーツは絶品だって聞いてきたんだケド……楽しみだなぁ」
「ええ、サリクスの作るお菓子は誰もが笑顔になるくらい美味しいわ。ゆっくりなさって……楽しんで行ってね」
 嫣然とレーギーナが微笑むと、その少し後ろで森の娘たちもにこにこと笑う。後光でも差しそうな、大層美しい光景だが、彼女らの脳裏で展開されているのは碌でもない算段である。
「素敵ね」
「ええ、とっても素敵」
「細身だから、きっと黒別珍のワンピースが映えるわ」
「ああ、白いレースが素敵なあれね」
「少し病的な印象だから、雰囲気も出るわね」
「蝶々の刺繍のヘッドドレスもつけていい?」
「あら、素敵。マニキュアは黒ね、絶対」
「白いレースのハイソックスと、黒のエナメルの編み上げシューズがいいわ」
「メイクは翳を活かしましょう。ピンクよりも血のようなローズね、彼なら」
「とっても楽しみだわ」
「ええ……本当に。楽しそう」
 うっとり、と表現するのが相応しいだろう表情で、恐ろしく碌でもない会話を繰り広げる『楽園』の女たちを、クレイジー・ティーチャーが首をかしげて見つめている。
「っていうカ、何でこんなに植物だらけなんダイ、このカフェ。お店の方針なのかイ? ワイルドだネェ」
 妙な方向に感心する凶顔の理科教師に、にっこり笑ったレーギーナが歩み寄る。
 ざわざわと植物がざわめいた。ひどく楽しげに。
 すでに被害者確定の人々が、身に覚えのあるシチュエーションに、クレイジー・ティーチャーへ(生)温かい眼差しを向ける。
 強く生きろ。
 そんな、親指を立てての脳内ナレーションつきだが、口に出して警戒を促すつもりは誰にもないだろう。自分だけが被害者でたまるか、という、素敵な連帯感の賜物である。それに、恥ずかしさが分散されるという点では、被害者は多いほうがいい。
「どうしてか、知りたい?」
「エ?」
「ここが、こんなにも緑であふれている理由」
「ああ……ウン。気にはなるヨネ」
「それはね」
 ふんふん、とうなずくクレイジー・ティーチャーに、女王は妖艶な笑みを向け、そして告げる。
「あなたを抱擁したがっているからよ、この子たちが」
「……エ……?」
 含みのあるその物言いに、クレイジー・ティーチャーが不思議そうな顔をするよりも早く。

 ざざざざざざざざッ!

 影が走るかのごとくに緑がざわめき、蠢いて、瑞々しい枝葉を恐ろしい勢いで伸ばすと、あっという間にクレイジー・ティーチャーを絡め取ってしまった。それは、ホラー映画の登場人物、中でも殺戮役のクリーチャーにありがちな、非常識に過ぎる素早さを持つ彼が、何の手立ても取れずに囚われたほどの速度だった。
 無論、まさかカフェにお茶をしに来てそんなメに遭うとは、さすがのクレイジー先生にも予測できなかったのだろうが。
「え、エエト……?」
 さすがのクレイジー・ティーチャーも呆気に取られ、ツタのロープにぐるぐる巻きにされたままで、レーギーナに説明を求める視線を向ける。
 レーギーナが反省皆無の全開笑顔でうなずくのを、柳は溜め息とともに見守った。
 いよいよ、試練の時が近づいてくる。



「I’m Sorry,I Couldn’t Catch What You Said.悪いんだケド、もう一回言ってもらえるカナ……?」
 クレイジー・ティーチャーは戦慄を禁じ得なかった。
「ええ、だからね」
「ウン」
「女装をして、妖霊城というムービーハザードへ潜入してほしいの。紗苗という女性を探して、危険がないかどうか、調べてきてほしいのよ」
 まさか、自分にそんなマニアックな行為を強いる相手が現れようとは。
 前回の銀幕ジャーナルでは大いに笑ったクレイジー・ティーチャーだが、それが自分の身に降りかかるとなれば話は別だ。殺人鬼だろうが規格外だろうが、彼にも突っ込みたいことはある。
「Ah……I’m Sorry,I Beg Your Pardon? エエト……なんか耳が横滑りするッテ言うか、言葉が頭に入ってこないンだケド」
「あら。もう一度最初から説明した方がいいかしら?」
「いやアノ、もういいですハイ。事情はよく判ったんだケドね。なんでボク?」
「楽しそうだからよ、もちろん」
 にっこり笑って断言するレーギーナは大層美しかったが、クレイジー・ティーチャーが顔の美醜になど注意を払わないタチだからとかそういう問題ではなく、その美しさが今の状況を改善してくれるわけではない。
 先日、海の向こうから大物女優が来日し、ロイ・スパークランド監督の元へ遊びに来た関係で、某ホテルでセレブなパーティが開催され、クレイジー・ティーチャーも大いにその恩恵にあずかったのだが、そこで出会ったレーギーナの経営するカフェ『楽園』のスイーツが絶品と聞いて来た先での『捕獲』だった。
 暴れて逃げようという気になれないのは、現状があまりにも把握できず、毒気を抜かれたままだからだ。
「ちょっと待て、なんだその楽しそうだからというのは。もちろん、仕事として受けたからには全力を尽くすが、依頼主の好みとかいう碌でもない理由で恐ろしい格好をさせられるのはごめんだぞ、俺は」
 傍から上がった抗議の声は、シャノン・ヴォルムスという青年だ。ダンスパーティでも目にした覚えがある。
 女性的に整った、繊細で美麗な面立ちの青年だが、その目つきの鋭さ、彼が身に持った雰囲気は、彼が確かに武の世界に身を置くものだということを教えてくれる。
 教えてくれるが、今のこの場においては何もかもが無駄なような気がするクレイジー・ティーチャーである。
「あら、そうね……なら、訂正するわ。わたくしが見てみたいからよ」
 ――なにせ、レーギーナがまったくこたえていない。
 訂正というより開き直りである。
 身も蓋もない、女王の、雄々しくすらある断言にシャノンが沈黙し、クレイジー・ティーチャーと同じくツタのロープでぐるぐる巻きにされている人々が涙を堪える仕草をする。
 ただひとり、やはりダンスパーティで一緒になったエンリオウだけは、そうかぁじゃあ頑張らなくちゃねぇなどとのんきに笑っていたが。――傑物だ、と感心する余裕はクレイジー・ティーチャーにはない。
「いや、アノネ、ちょっと待とうよ、ウン。その、エエト……冷静になろう、ネ? そんなに急ぐと危ないヨ、ホラ、慌てるな、車は急に止まれナイ、って言うダロ?」
 恐らく一番慌てているのはクレイジー・ティーチャー自身で、言っていることが微妙に支離滅裂なわけだが、本人にそれを斟酌する余地はない。
 なにぶん、生まれて初めて経験する危機なのだ。ついでに言うと、レーギーナ相手に何を言っても無駄な気がひしひしとする。
 汗などかかない身体のはずなのに、クレイジー・ティーチャーは、背中を何か冷たいものが滑り落ちる感覚を味わっていた。
「あら……どうして?」
 案の定、レーギーナから躊躇や逡巡といったものは感じられない。
 クレイジー先生的にはどうしてと尋ね返すレーギーナの方がどうしてという感じだが、恐らく突っ込んだところで無駄だろう。
「なんかモウ、何を言ってモ色々無駄な気がして仕方ないけどネ、ボクは一応殺人鬼なんだ、ホラー映画出身のムービースターなんだヨ? Do You Understand?」
「ええ、存じ上げているわ。でも、それがいけない、ということはないでしょう。CTさんは細身で、脚が綺麗だから、きっととてもよく似合うわ。いい記念にもなるから、ね?」
「ね? じゃないでショ、ダカラ!」
 あまりに当然のような口ぶりに、思わず悲鳴めいた声が漏れる。
 彼がここまで取り乱すのはかなり珍しく、
「……正直、CTさんがあそこまでツッコミに回っておられるのは初めて見ますな」
「すげぇな、我が道を行く殺人鬼理科教師を突っ込まずにはいられねぇ状況に追い込むなんざ、そうそう出来ることじゃねぇぞ」
「確かに、ボケ役がツッコミに回るってすごいことですよね。存在意義に関わるっていうか」
「ある意味稀有な経験だとも言えるな。……だが、あまり嬉しくないのは何故だろう」
「そりゃあもちろん、自分も被害者の一人だからでしょ。傍観できるんなら、こんなに楽しいこともなさそうなんだけどねー」
 ツタのロープで絶賛拘束中の『お仲間』たちが、クレイジー・ティーチャーをサカナにしみじみと会話を交わしている。
 そろそろ諦観すらにじみそうだ。
 ――どうしよウ、何を言っても逃げられる気がしナイ。
 クレイジー・ティーチャーが真剣に冷や汗を流し始めそうになったころ、
「ああ、そうだわ」
 レーギーナが流麗な仕草で手を打った。
 薔薇のような唇が美しい笑みのかたちを描く。
 一体何事かと――諦める気になってくれたのかというわずかな希望を込めて――、クレイジー・ティーチャーが首をかしげると、
「CTさんは甘いものがお好きなのよね」
 女装云々とはまったくべつの話題が飛び出した。
 しかし、事実なので、ほぼ脊髄反射でうなずく。
「ウン、甘いものがあれば生きていけるネ。ボクもう死んでるケド」
「なら、こういうのはどうかしら。この依頼を受けて下さったら、『楽園』のスイーツ食べ放題の権利一回分を差し上げるわ」
「エッ」
「サリクス、今のお勧めは何?」
「はい、そうですね。タルトなら苺の赤ワインコンポート、ケーキならオレンジとベルベットビターチョコレート、あとはホワイトチョコレートとキャラメルのムースを使った白いシャルロットでしょうか。定番の、熱々アップルパイのヴァニラアイスクリーム添えや、フォンダン・ショコラのたっぷり生クリーム添えもお勧めです」
「だ、そうよ。どうかしら」
「ウ、うう……」
 あまりにも魅力的な誘惑に、クレイジー・ティーチャーは低く呻いた。こんなに悩んだことは、もしかしたら彼の決して短くない殺人鬼人生の中、初めてのことだったかもしれない。
 更に、名前を聞くだけで垂涎ものの、本格的なスイーツを、森の娘たちが皿に載せて運んでくる。ふわりと漂う甘い香りは、それが明らかに一級品だということを告げていた。
 男としての大切な何かとか、出身映画とのイメージ的な兼ね合いとか、そういう大事な何もかもを吹っ切って、やります! と雄々しく高らかに宣言しそうになって、理性の断崖絶壁で踏みとどまる。
「いや、でもね、ホラ! 明らかにそぐわな――」
 どうにかして断ろうと、こんなに頭を使ったことは未だかつてない、くらいの勢いで一生懸命文言を考えていると、不意に、彼の周囲にいくつもの人魂が浮かび上がった。
 無論、彼の大切な生徒たちである。
 本来は、クレイジー・ティーチャーとしか意志の疎通が出来ないはずなのだが、さすがというかなんというか、銀幕市にはそのセオリーを超えて人魂たちと交流してしまう猛者もいるので、レーギーナを筆頭とした、『楽園』の愉快な仲間たちが、人魂に向かって微笑み、
「あらあら、可愛い生徒さんたちだこと」
「はじめまして、皆さん。お会いできて嬉しいわ」
「まあ……綺麗だなんてそんな、嬉しくなるようなことを仰らないで」
「ええ、そうなの、先生にお願いしたくて。素敵でしょう?」
 などと、親しげな会話を繰り広げても、クレイジー・ティーチャーはあまり驚かなかった。
 しかし、である。
 ふわふわと楽しげに宙を舞った人魂たちが、クレイジー・ティーチャーに、
「エ? 先生参加して……ってナニ言い出すのクレア!? あのね、先生は男の人で、生物学上雄で……ってレイチェルも!? ティファニーまでそんなこと言うのカイ!?」
 ……などと言い出すとなれば話は別だ。
「エ、先生なら絶対似合う? そりゃドウモありがとう……ってちっとも嬉しくないヨその褒め言葉! ちょ、待っ……え、参加してくれなきゃ泣いちゃウ!? っていうかそれ全然嘘泣きッポイんだケド気の所為? ああソウ、気の所為なんダネ!? ははは判ったヨ判りました!」
 女生徒の人魂たちに四方八方からけしかけられ、泣き真似までされて、クレイジー・ティーチャーはやけくそ気味に叫んだ。
「やるヨ、やればいいんでショ! スカートでも化粧でもアクセサリでも、なんでも持って来るがイイヨこんちくしょう! その代わりお店がつぶれるくらいの勢いでスイーツ食べるからネ! そこは覚悟しとケヨ!」
 と、最後の、精一杯の抵抗とばかりに語気を強めたが、女王と森の仲間たちに堪えた風情はない。それどころか、きゃわきゃわと楽しげに宙を舞う女生徒の人魂たちと、手を取り合って(※人魂に手はないが)喜んでいる。
「素敵ね、クレアさん! ええ、そうね、頑張るわ。楽しみにしていてね」
「まあ、ティファニーさんは下着にもこだわりたいのね! そうね、せっかくだものね。ええ、判ったわ」
「レイチェルさんはお化粧が得意なの? じゃあ、お手伝いしてくださる? まあ、素敵」
 恐ろしい会話が繰り広げられるのを、ヤア今日もイイ天気だネェなどと現実逃避感一杯で胸中につぶやいていたクレイジー・ティーチャーだったが、森の娘のひとりが、黒のベルベット生地に白の繊細なフリルとレースでふわふわと彩られた豪奢なワンピースを差し出すに当たってさすがに青褪めた。――そもそも彼の肌は緑だが。
「ちょ、え、ソレがボクの分とか言わないよネ? っていうか、実はコレ夢だとかそういうオチだよね!?」
 決して短くはない殺人鬼人生の中、こんなに恐ろしい思いをしたのは生まれて初めてだと後に語ることになる彼だが、何が怖いって、カフェ『楽園』の女たちである。
 普通の人間なら悲鳴を上げて逃げ出す凶顔の彼に、フリルとレースで埋もれそうな美麗な衣装を、まったくの笑顔で勧めるのだ。しかも本気で似合うと思っているっぽいのがさらに怖い。
「ゴシック&ロリータという分野の衣装は、細身の方が一番よく似合うようです。CTさんなら大丈夫ですよ、絶対に映えます。わたしたち全員、保証しますから」
「イヤアノ、保証されても困るっていうか何の意味もないっていうか。せめて映画のジャンルぐらい選ぼうヨ! ボクはスプラッタ・ホラーの主人公なワケ! OK!?」
「大丈夫よ、今日ここに集まってくださった方のほとんどが戦闘系のシリアスな映画から実体化したムービースターさんたちばかりだから。問題ないわ、むしろドンと来い、よ」
「ヘエ、そうナンダ……って、そういう問題かアアアァアアアアァッ!?」
 レーギーナ(と書いて諸悪の根源と読む)の自信たっぷりな言葉に、ほんの一瞬納得しかけたあと、電光石火の勢いで我に返ったクレイジー・ティーチャーが、腹の底、魂の根っこの部分から、お笑い芸人も真っ青な全身全霊ぶりで突っ込んだことを責められるものはいないだろう。
 何せ、次は我が身、なのである。



 結局、誰も逃げ出せないまま、緑の牢獄と化したカフェ『楽園』では大お着替え大会が開催されていた。
 森の娘たちに真実の意味でもてあそばれる被害者たちの、衣を引き裂くような、もしくは帆布を引き裂くような悲鳴が、部屋のあちこちから響いてくるのを、神宮寺剛政は半ば青褪めながら聞いていた。
 剛政自身は、事態を面白がった主人に肉体を女性化させられていたので、正直女装とは言えない状態だが、身体がどうなろうと心は間違いなく男性なのだ、楽しいはずがない。
 もっとも、これなら、銀幕ジャーナルに記事が載ったとしても、主人があちこちに吹聴して回らないかぎりは剛政だとは気づかれない可能性も高いので、それはそれでまだ幸運だったかもしれない。
 の、だが。
「神宮寺さんは、本当は男性なのね。ご主人様から伺っているわ、お好きなようにお使いくださいと」
「あのジジイ……いっぺんしばく。まぁ、そもそもは男だぜ。あいつの呪いとやらで身体を変えられたんだ。それがどうかしたかい?」
 何故そんなことを、と思いつつ返すと、レーギーナと、森の娘のひとりは顔を見合わせ、ふたり同時に剛政を見つめて首をかしげた。
「いいえ、せっかく殿方を思う存分いじくりまわ……もとい、好き勝手に飾り立てて楽しもうと思ったのに最初から女性じゃちょっとつまらないなんて言わないわよ。ねえ、リーリウム」
「ぅおい!? 思う存分言ってるじゃねぇか!」
「そうですね、殿方の顔立ちを女性に作り変える楽しみを奪われてしまって張り合いがないなんて、心の中では思っていても言いません」
「いやいやいや、思いっきり思考が駄々漏れしてるから!」
「そうだわ、レジィ様、この呪いを解くことは出来ないんですか?」
「そうね……彼らのように、強く結びついた状態での呪いだと、外部からは介入できないと思うわ。やってみてもいいけれど、その場合、神宮寺さんを粉微塵にしてしまうかも知れないから」
「あら、残念。それはちょっと問題ですね」
「待て待て待て、全然『ちょっと』どころの問題じゃねぇだろ、それ!? 俺の命とか身の安全とか、そういう根本的に大事なものに思いっきり関わってるっつーの!」
「でも、ねえ?」
「はい」
「人の話聞けよ、頼むから!」
「最初から女性の姿なら、手加減は要らないわよね?」
「はい、レジィ様。下から上から、指先毛先まで、好き勝手に出来ますね」
「っていうかあんたらからは、男だから手加減してるって印象が一切感じ取れねぇんだが……!」
「レザー関係は確か、ニュンパエアが持って行ったわね。あの子はシャノンさん担当だったかしら」
「ええ、確かにあの方ならとっても似合うと思います。ですからわたしはこちらのビスチェにしようと思って」
「まあ……うふふ、素敵ね。なら……任せるわ、よろしくね」
「はい、レジィ様」
 結構必死に突っ込む剛政の努力を無下にするかたちで、剛政を完璧に無視した状態で話が続き、他の着替えの様子を見るためだろう、レーギーナが歩み去ってゆく。
 背筋のぴんと伸びた後姿を、呆然と見送っていた剛政だったが、
「では、神宮寺さん。こちらに着替えていただけますか? 判らないところがあればお手伝いしますから」
 小夜鳴き鳥のさえずりのように、可憐で美しい声で言ったリーリウムが、それは本当に服なのかと突っ込まずにはいられないような衣装を差し出したので、思わずのけぞりそうになった。
「ちょっと待て、それを着るのか、俺が!?」
「あら、あなた以外にどなたがおられるの? 大丈夫、とってもよく似合うと思いますから」
「あんたたちの『大丈夫』はどうもイマイチ信用しきれねぇんだが……ッ!」
 血を吐くような、悲痛ですらある呻き声が漏れるのも当然のことで、リーリウムがその繊手に持っているのは、黒を基調としたシックなレースのビスチェに同色のレーススカート、同色の膝上レースストッキングにヒールの高いサンダルなのである。
 下着のほかに、黒革のコルセットとスカートのボリュームを出すためのふんわりしたパニエ、ストッキングを止めるためのガーターベルト、ブロンドのかつらやシルバーのアクセサリまで完備されていて、黒一色で統一された様などは大変にセクシーだとは思うのだが、それを自分が身につけなくてはならないとなると話はまったく別である。
 ビスチェはキャミソールの豪華版といった趣で、胸元が恐ろしく強調される上、レースとフリルとリボンで装飾されている他は下着との差異が微妙な代物だし、そもそもスカートなどという物体は、男性道一筋二十三年の彼には未知に過ぎる。
「も、もーちょっと何とかなんねぇのかよ、それ。羞恥プレイとかそういう問題じゃなく、知り合いに見られた時点で、その場で腹ァ掻っ捌きたくなる気がするんだが!」
「あら……まあ、神宮寺さんはそんな特殊なプレイがお好みなの? わたし、存じ上げなかったわ。レジィ様にご報告して、ご主人様に事情をお話していただくようお願いしておいた方がいいかしら?」
「ぎゃー! やめてくれ、その話が万が一ジジイの耳に入ったら真剣に大変なことになるッ!」
「じゃあ、このままで問題ないですよね。なら、着替えてしまいましょう、ね?」
「うう……」
 にっこりと、地獄の獄卒より怖いと評判の、花がほころぶかのような美しい笑顔とともにビスチェを差し出され、剛政は半ば言質を取られるかたちで涙を堪えつつそれを受け取る。
 これ以上強く拒否すれば、恐らくというか間違いなく、主人たる悪魔の元へ連絡が行くことになるだろう。しかも、あることないこと吹き込まれるに違いない。
 その後の自分の扱いがどうなるかを考えれば、ここはおとなしくうなずいておいた方がいい。この際、男としての矜持とかそういうものには目をつぶっていてもらうことにして。
「わ……判ったよ、着るよ。腹ァくくる。でも、このコルセットとか、やり方がよく判らねぇんだ」
「大丈夫よ、わたしがお手伝いしますから。まずは服を脱いでくださいね」
「お、おう……って、おい、ちょ、どこ触っ……!?」
「とりあえず、脱衣のお手伝いをするふりをしながら胸の谷間に手を入れてみただけですが、何か?」
「何か? じゃねぇだろ! うら若い娘さんがそんな、はしたねぇ!」
「あら、そう言っていただけるのは嬉しいけれど、わたし、少なくともあなたの三百倍は生きているんですよ?」
「って、え、さんびゃく……!?」
「少なくとも、ね。わたしは第一世代の森の娘ですから、七人の中では一番旧いの。レジィ様の次に長生きというわけね。だから、多少のセクハラには目をつぶっていただいて結構ですよ」
「森の娘がセクハラとか言うなよとか、何をどう目をつぶればいいのかとか、あちこちにツッコミどころが満載なわけだが! ちょっ、待て、あっ……だから、さ、触るなって!」
「まあ、神宮寺さんは初心(うぶ)でいらっしゃるのね……ふふふ、なんて可愛い方。でも、神宮寺さんはとってもお肌が綺麗で触り心地がいいですね、本当に役得だわ。さ、とりあえず、コルセットを着けてしまいましょう。この衣装なら、メイクはボルドーが似合うわね。化粧のりもよさそうだし、きっと素敵な淑女が出来上がるわ」
「うううっ、淑女云々はまぁいいとして、完成までになんか婿に行けねぇカラダにされちまいそうだ……ッ」
 本当にあんた出身映画内で人間の男に翻弄されて滅びかかってた種族なのかと心の底から突っ込みたい剛政である。
 銀幕市に来てからこういう性質が開花したのか、それとも実はもともとこういう種族だったのか微妙なところだが、なんにせよ、ひとまず、自分が色々な試練にさらされているという事実だけは絶好調で続行中である。
 リーリウムの細い手に、次々と飾り立てられながら、剛政は、
「ふふふ……大丈夫よ、心配なさらないで。万が一嫁ぎ先に困られたのなら、わたしたちがもらって差し上げるから」
 くすくす笑った森の娘が、本気とも冗談とも取れぬ口調でそんなことを言うのを、乾いた笑いとともに聞いていたのだった。



 本気☆狩る仮面あーるは真剣に悩んでいた。
「……うう、試練だ……」
 いつもの扮装と今の格好なら、一体どちらがマシなのかを。
 そもそもの発端は、彼にこんな試練まみれの日々を与えた某相棒で、彼が、変装しての潜入捜査があるというので『楽園』に出かけてみたところ森の女王の植物たちに問答無用で捕獲されて今に至るわけだが、何故自分がこんな目に遭わねばならないのか今もって納得がいかない。
「大丈夫だよ、アルくん……じゃなくてあーるくん。なにせ、とってもよく似合っているからね。んん……本当にどこかのお姫様みたいだ、可愛いねぇ」
 ほやほやのんびりと、事態の深刻さをまったく理解していない風情でエンリオウがフォローらしきものを入れてくれるが、あまり嬉しくないというか、まったくもって和めない。
 ちなみにエンリオウは、ベージュのタイトスカートに同色のぱりっとしたジャケット、ブルーの縦ストライプが入ったドレスシャツにシンプルなダイヤモンドのネックレス、かっちりしたハイヒールという、どこの出来るオンナですかと突っ込まずにはいられないような知的美女スタイルに仕上がっている。
 ドレスシャツは襟がフリル仕様になっており、かっちりした中にも大人の色香が漂う出で立ちなのだが、おまけにきっちりメイクも施されているはずなのだが、何故か男性にしか見えない。
 男性にしか見えないのに、女性の出で立ちをしていながら変態にも見えず、何故かやたらカッコよく感じるという、おかしな状況だった。
 背が高いからとか、案外筋肉質だからとか、そういう問題ではなく、恐らくエンリオウの醸し出す雰囲気のゆえなのだろうが、ある意味それはかえって恥ずかしいのではないか、と思わなくもないあーるである。
 といっても、あちこちで断末魔くさい悲鳴が上がる中、森の娘に何をされても動じず、ふんわり笑って許してしまう彼だ、恥ずかしいもくそもないのだろうが。
「申し訳ないのですが嬉しくありません、エンリさん」
「おやぁ、そうかい? わたしは結構楽しかったけどねぇ」
「多分それはエンリさんだけです」
 あーるが断言する通り、普通のカフェに戻った『楽園』の店内では、今回の犠牲者たちが、顔を覆ってさめざめと泣いていたり、遠い目をしていたり、乾いた笑いを漏らしていたりする。
 参加者(という名の犠牲者)の中で、普通に森の娘たちに混じって笑っているのはエンリオウだけだ。
「皆さん、お着替えお疲れ様でした。とりあえず、あーるさんとCTさん、バロアさんのコンセプトは三姉妹です。詩的に表現するなら、夜と天使とお花畑かしら」
「CTさんが黒で、あーるさんが白で、バロアさんはピンクにしました。前回のベビー・ピンクの君とは少し違った可愛らしさに仕上がりましたよ」
「ってか、え、前回の某氏と『少し』しか違わないって点にまず驚愕を隠せないんだけど、僕……!」
「別珍のワンピースは、色とサイズは違いますけど、デザインは同じなんですよ。ほら、とっても可愛いでしょう? うふふ、思わず抱きしめて頬ずりしたくなっちゃいますね」
「なっちゃいますねっていうかすでにしておられる気がするのは僕、ではなく私の気の所為ですか!?」
「気の所為です」
「そんなにこやかかつ爽やかに断言されても! というか背中に何かやわらかいものが当たるんですが! ものすごくいたたまれない気持ちになるので一刻も早く離していただきたく……!」
「うふふ、もう、本当に可愛いんだから、あーるさんったら」
 くすくす笑った森の娘、あーるの着替えとメイクを担当したクエルクスが、美麗で儚げな容姿や肢体に似合わぬ怪力であーるを背後から抱きしめ、愛しげに頬ずりする。背中にぎゅうぎゅうおしつけられる、やわらかくて弾力のある、温かいものの存在に、頬が熱くなる。
 おまけに、クエルクスに頬にキスまでされて、あーるは一瞬彼岸の彼方へ旅立ちたくなった。
 女性に免疫のない彼には、フェティッシュな衣装に身を包まされて純白の天使とか称される以上の試練である。
「ううう、お願いですから離してくださいっ」
「あら、どうして? わたしたち、女同士ですもの。少しくらい、スキンシップを図ってもいいでしょう?」
「女同士って、今思いっきり詐称しませんでしたか!? 僕、もとい私は生物学上は完璧なるMaleです! 大体、先ほど無理やり確認なさったじゃありませんか!」
「あら……そうだったかしら。ごめんなさい、年を取ると物忘れがひどくなってしまって。もう一度確認してもよろしいかしら」
「心の底からご遠慮申し上げますっ!」
 かなり全身全霊で突っ込むあーるだが、儚げな容姿とは裏腹の強かさが見え隠れする森の娘に何を言っても無駄な気もする。
「いやモウどうにでもしてって気分になってくるヨネ、ここまでくると。まさか、スプラッタ・ホラーから実体化してゴスロリ衣装に身を包む羽目になるとは思っても見なかったヨ……」
 あらぬ方向を見やりながらつぶやくクレイジー・ティーチャーと、
「ううう、すんごい足元が頼りないよ! いたたまれないっていうより不安が這い上がるよ! なに、女の子ってみんなこの試練に毎日耐えてんの!? くそうまだまだ修行が足りないってことなのか……!?」
 混乱のゆえなのか、ちょっと間違った方向に向かいそうになっているバロア、そして未だクエルクスに熱烈抱擁と接吻に嵐にさらされているあーるは、別珍すなわちベルベットで作られた、非常にレーシィでガーリィでフェティッシュなワンピースに身を包んで――包まされて――いた。
 いわゆる、ゴシック&ロリータというジャンルの衣装である。
 エンリオウが言った通り、まさにどこぞの姫君といった風情の、ふんわり膨らんだ肩口や袖口、繊細なレースで飾られた裾、やわらかなドレープを描くスカートのラインなど、素人目にも職人技を感じ取れる逸品だ。
 頭は全員ブロンドかつら着用で、その上には蝶々の刺繍と薔薇の飾りが施されたヘッドドレス、足元はエナメル素材の編み上げストラップシューズ、靴下はもちろんレース飾りつき。
 特にクレイジー・ティーチャーなど、縫合された左目を医療用の眼帯で隠し、化粧によって肌も血色が悪いレベルに整えられて、傷跡は化粧で隠されて口は正式サイズに強制縫合されたあと、ウィッグによって髪も背中ほどまで伸ばされ、丁寧な化粧が施された結果、ちょっと病的な印象の素敵な娘さんに大・変・身☆していた。
 本人も呆然としているが、周囲も驚愕である。
 今の状態なら、ゴスロリ好きな殿方に電撃告白されてもおかしくはない。
 そのくらい、様になっていた。
 バロアの方は、同じデザインでベビー・ピンクの生地を使ったワンピースに、背の低さをカバーするために、ストラップシューズの中でも特に底の厚いものをあてがわれている。
 ここだけの話だが、彼だけ胸に詰め物をされなかったのは、森の娘曰く『洗濯板が強調されるのもまた可愛らしい(意訳)』ということらしい。
 あーるにしても、そもそもが女の子と間違われるような顔立ちなので、何の違和感もない状況だ。しかしその違和感のなさがむしろ切ない。
「美人三姉妹、シィナ、バロナ、アルナって感じかしら」
「まあ、いいわね。でも、あーるさんには女装しているときに名乗る名前があるらしいわよ、イーリス」
「あら、そうなの? どうしてクエルクスはそれを?」
「ほら、あーるさんの使い魔の彼女がお化粧を手伝ってくださったでしょう、あの方が教えてくださったのよ。なんでも、昔、命を狙われている時期があって、その間は女の子に化けて追跡者の目を欺いていたのですって」
「まあ……大変だったのね。そのお名前はなんというの?」
「ルビア、ですって。可愛らしいでしょう?」
「あら素敵!」
「ええ、本当に!」
 顔を見合わせてにこにこ笑うイーリスとクエルクスを、すっかり美女化させられているシャノンと剛政が得体の知れないものを見るような目で見つめている。殿方からしてみれば確かに怖いというか未知の生物だろう。
「シャノンさんと剛政さんは女王様をテーマにしました。シャノンさんは脚が長くてすらっとしてらっしゃるから、編み上げのハイヒールレザーサンダルがとってもよく似合っているでしょう?」
「あら、剛政さんも素敵よ? このビスチェはわたしが丁寧に手縫いしたんですけど、それがぴったり、一分の隙もなく似合っているわ。わたしの見立てに狂いはなかったということですね」
 ニュンパエアとリーリウムが互いに自慢しあう。
 加害者ふたりは誇らしげだが、被害者ふたりは恐ろしくいたたまれなさそうだ。自分の出で立ちを見ないようにしているのか、妙に視線が泳いでいる。
 しかしながら、森の娘たちの素敵な魔力のゆえなのか、確かにふたりともとてもよく似合っていた。
 シャノンは、レースが縫いつけられた黒のレザーに、その上から硬質的なベルトが幾重にも巻かれた、いわゆるボンデージと称するのが相応しいデザインの、身体のラインをくっきりと見せるコルセットタイプのビスチェと、レザーとシルクとベルベットを組み合わせて縫合されたアシンメトリーのスカートを身につけている。
 ビスチェの下に何を詰め込んだのかは不明だが、かなり豊満な胸元に仕上がっている辺りが涙を誘う。シャノン的には不本意もいいところだろう。
 編み上げハイヒールレザーサンダルの下はもちろん黒のレースストッキングで、更にガーターベルトも完備だし、レザーとシルバーが巧みに組み合わせ、薔薇と蜘蛛を模して作られたハードなチョーカーやバングルなどのアクセサリもものすごく様になっている。
 もともと顔立ちが女性的なうえ、豊かなブロンドのかつらと、きつめのメイクとあいまって、まさに女王様という印象だが、レーギーナ的な女王陛下とはまったく意味が違う。鞭も蝋燭もごめんだろう。
「……今この場に知り合いというか敵対者が現れたら問答無用で鏖殺(おうさつ)できる自信があるな。指差されて笑われるなど、耐えられん」
「あら、大丈夫よ、誰だってあなたの美しさの前には、声もなく打ちひしがれて見惚れてしまうだけだわ」
「人が一生懸命現実から目をそらそうと思っているのに、頼むからそういう恐ろしいことを当然のように言わないでくれ……!」
 腹の底からの呻きを漏らすシャノンの横で乾いた笑いをこぼす剛政の方は、シャノンより少しやわらかい印象の女王様という雰囲気だ。シックなレースと華麗なフリル、リボンで彩られたビスチェは、光沢からしてシルクだし、スカートやアクセサリにハードさはない。
「うう、なんか自分の睫毛がおっかねぇ……! マスカラってすげぇってか怖ぇな、当社比二倍だぞこれ。つーことは常の女も皆これで増やしてるってことか……」
 シャノンのボンデージスタイルほどハードではないが、しかし、そこから与えられるイメージはやはり女王様だ。特に彼は今『彼女』なので、特別に様になっているし、妙な色香まで漂っている。
 本人の意志はさておき。
「夜の王国の双女王、シャナーン陛下とターシャ陛下、でどうかしら?」
「あら素敵。少し倒錯的なところがいいわね、うっとりしちゃうわ」
 頼むからうっとりしちゃわないでくれ……!
 という、被害者たちの心の叫びなど柳に風とばかりに受け流しつつ、リーリウムとニュンパエアが(偏執的なほど)入念に最後のチェックを行っているところへ、
「ごめんなさい、遅くなってしまって」
「ついつい色々試してしまって、時間がかかったわ」
 ラウルスとマグノーリアに両脇を挟まれるようにして、最後のメンバー、一乗院柳が姿を現した。
 首まで真っ赤なのは、やはり羞恥のゆえだろう。
「まあ……とっても素敵よ、柳さん。本物のお嬢様みたい!」
「前回よりも少し大人っぽいイメージね、素敵だわ」
 森の娘たちがきゃわきゃわとはしゃぐように、柳は、白に近いベージュのフレアスカートに茶色のベルトを沿わせ、襟が花のようなフリルになった白地にグレイのドットが入ったカットソー、ふんわり春色と称するのが相応しい、シックでやわらかな桜色のニットカーディガンを身にまとっていた。
 足元は淡く桃色がかったブラウンのパンプスで、品のいいピンクゴールドに白い真珠を組み合わせたイヤリングとネックレスが映えている。
 メイクは完璧、ゆるく巻いて流した髪型も秀逸、どこからどう見ても良家のお嬢さんという印象の出で立ちだ。美しく整えられた眉や、桜色のマニキュアが施された爪の美しい光沢などから、彼を担当した森の娘たちの気合のほどが見て取れる。
 もちろん、その気合の入りようが、対象である柳の意志にまったく沿わないものであることは間違いない。
「うう……この短期間で二回も女装って……。もしかして、いや、もしかしなくても、僕、不幸なんじゃ……?」
「そんなことないわ、とっても幸せよ。――わたしたちが」
「それってつまり当人にとっては不幸ってことじゃないのかなーとか思う僕は未熟なのかなぁ。いやまぁもういいや、とっとと行こうよ。この格好のままここにいて、常連さんたちと鉢合わせすんのも嫌だし」
 ぼそりと突っ込んだバロア=バロナが提案すると、今回の被害者全員が激しくうなずく。苦痛な時間は短い方がいいに決まっている。
 そこへ、レーギーナが絶妙のタイミングで戻ってきた。
 地図を取りに行っていたらしい。
「うふふ、うっとりするくらい素敵よ、皆さん。これなら絶対に怪しまれないわ」
 森の女王は女装が完了した被害者たちをぐるりと見渡し、満足げに微笑むと、大きな地図をカフェのテーブルに広げた。
 なんやかや言いつつ騒動や非日常的な出来事に慣れている面々が、ごくごく自然にその周囲に集まる。その辺りは、やはり百戦錬磨の猛者たち、場慣れしているのである。
「妖霊城は、ここの通りを抜けた先の、川沿いの野原に出現したようね。あの辺りでは噂になっているみたいだけれど、あまりにも造りが堅固で、地元の人たちは近づけずにいるらしいわ。そうそう、唯瑞貴君の調査によると、どうやら、何人かは戻ってきたようよ。この様子だと、徐々に戻ってくるのかもしれないわね」
「おや、それはよかったですね。その人たちはなんと言っておられるのですか、妖霊城について」
「いいところだった、と皆が言うそうよ。実際、誰も調子を崩している子はいないし、怪我をしているような様子もないし、むしろ肌艶がよくなってすらいるみたい。ただ、何故か詳しいことは教えてくれないのですって。行けば判るから、というのが彼女らの言い分のようよ」
「ふーん、なんなんだろうね、それって。でも、そんなに悪い印象は受けないなぁ」
「俺も同感だが、要は、それを調べてくればいいのだろう」
「あとは、鎌鼬君たちのご主人さま捜索だっけねぇ。寂しがっているようだから、頑張らなくちゃ」
「そうですね、誰かが妖幻大王の気を惹いている間に場内を探索するとか? あ、そういえば人様のおうちにお邪魔するんだから、何かお土産を持っていった方がいいかなぁ」
「……律儀でいいやつだなぁ、お前」
「え、いえ、そんなことは……。あ、そうだ、お酒がお好きなら、乾き物みたいなおつまみとか喜ばれますかね?」
「だな。ま、紗苗って子がそこにいるのは確かなんだろ? だったらとりあえず行ってみようぜ、ここにいても始まらねぇし」
「そのようだ。気は進まんが……行くか」
 シャノン=シャナーン陛下の言葉に全員がうなずき、扉に向かって歩き出す。
 フェティッシュなゴスロリ三人娘と夜の女王様ふたりとデキるOLと春色お嬢様。――恐ろしく違和感のある集団だ。
 真の試練の始まりだなぁ、と、バロア=バロナ嬢がつぶやいた。



 妖霊城は、その名前の怪しさとは裏腹に、荘厳ですらある雰囲気をまとった美しい建物だった。
 中華風の精緻な装飾と、色鮮やかな彩色が施された流麗な代物だが、城と言いつつそれほど大きくはなかった。普通サイズの一戸建て住宅に換算すると十戸分くらいだろうか。
 頑丈な門扉と壁に守られた様は、そこが守るに適した場所であることを教えてくれるが、城壁に兵士が配置されているわけでもなく、それほど物騒な印象は受けない。
「綺麗なところですな。少しも怪しい感じがしない」
「確かに。ちょっとした観光名所ってとこだな。それに……」
「それに、どうしたの、ターシャ陛下?」
「いや、なんか美味そうないい匂いがするなぁって思ったんだが。つーかその呼び名やめろよバロナちゃん。力が抜ける」
「僕だって脱力するよ、呼ぶのも呼ばれるのも。いやもう素敵な源氏名もらえてよかったよねははは」
「源氏名って表現がすでにイヤだなぁ……」
「そういう君はなんて名づけられたのさ。柳子ちゃん?」
「それは前回危うく名乗らされそうになった名前だし。柳沙(なぎさ)ってつけてもらったけど、あんまり嬉しくない」
「むしろ嬉しかったらまずいだろうな。そこで目覚めても困る」
「あ、じゃあエンリさんは?」
「んん……わたしかい? 森の娘さんたちにはエンレイラと呼ばれていたねぇ。綺麗な響きだと思わないかい? わたしもちょっと楽しかったよ、別人になれたみたいでねぇ」
「確かに綺麗だとは思うけど、そこでしっかり楽しんじゃうと後々まずいことになると思うよ僕は。っていうか何だろう、誰よりもエンリさんがある意味一番の視覚的暴力のような気がしちゃうんだけど……」
「それは俺も思う。恐ろしく似合っているのに、どうして男にしか見えないんだろうな」
「うーん、なにがいけないんだろウネー」
「おや、そうかい? そんなことないよ、わたしは今女の人だよ」
「説得力があるのかないのか判らないなぁ」
 などと、緊迫感のない会話を交わしつつ門扉へ向かって歩いていると、くだんの門がゆっくり開き、中から背の高い女が姿を現した。
 すっきりしたスキニーデニムに焦げ茶のブーツ、その上には今流行の色鮮やかな幾何学模様がプリントされたベロアのワンピースを身にまとった、若く美しい女だったが、その、完璧なメイクを施された顔立ちに見覚えがある気がしてバロアは首をかしげた。
 ややあって、ぽんと手を打つ。
 皆も同時に気づいたらしく、
「ああ、そうでしたな。先に行っていると女王陛下も仰ってましたし」
「おやおや、どこのお嬢さんかと思ったら、唯瑞貴君だねぇ」
「唯瑞貴さん……ものすごーく似合ってるのが涙を誘うよ……」
「でもやっぱ歩き方は男だな、うん。男女の立ち居振る舞いの違いって、こうしてみるとすげぇよく判るわ」
「こんなところでそれに気づくのも切ない話だがな」
「名前は唯瑞子(ゆずこ)かナァ。っていうか呼んでるみたいダヨ?」
「あ、なんかこっちを見る視線が生ぬるくなった気がする。気の所為か……?」
 口々にもう一人の犠牲者を評しつつ、早足に近づく。
「で、中はどうなの唯瑞子さん」
 バロアが声をかけると、『天獄聖大戦』一の凄腕美形剣士という設定のはずなのに最近恐ろしくイロモノ化しつつあると評判の青年は、なんとも言えない珍妙な表情をした。
 恥ずかしがる風情も見せないのは、すでに諦観の域に達しているからだろう。
「いやー、びっくりするほど似合ってるね。ここまで似合ってると、ある意味女性への挑戦だよこれ。あ、そういえば面と向かって喋るのは初めてだったよね、僕はバロア・リィムだよ、よろしく」
「それは……ご丁寧に。私は唯瑞貴だ」
 それを皮切りに、初対面の人々が手短に挨拶しあう。
「んで、どーなってるんだ、今?」
「あぁ、うん、その……どう、というか。私も中に入ったのはつい先ほどなんだが……」
「何だ、歯切れの悪い。何か具合の悪いことでもあるのか?」
「具合が悪いというか……正直戸惑っていると言った方が正しいかな。まぁいい、とりあえず入ってくれ、中に入れば自ずと判る」
「え、勝手に入っちゃっていいの、これ。門番とかは?」
「いない。鍵もかかっていないんだ、実は」
「そんな、この物騒なご時勢に無防備な。大丈夫なんですか?」
「普通なら大丈夫ではないだろうが、その代わり、門にはセンサーのようなものがついていて、怪しい風体のものや、男の出で立ちをしたものが無理やり通ろうとすると、」
「殺人ビームが出るトカ?」
「もしくは火が噴き出して侵入者を焼き尽くす」
「雨のように矢が降り注ぐというのもありでしょうな」
「いや、唐突に足元に穴が開いて、そこに落ちると何故か、いつの間にか外に放り出されている」
「……ええと、それってどういう原理?」
「私に訊かないでくれ」
「なんか、気が抜けるほど平和な罠だね。この分だと、その妖幻大王ってヤツも悪いヒトじゃないっぽいなぁ」
 面白いほど暴力の香りがしない妖霊城の仕組みに、バロアはちょっと呆れて肩をすくめた。これなら荒事にはならないかもしれない。
 それから、唯瑞貴が手招くまま、妖霊城へと足を踏み入れる。
「うわー、すっごいネェ」
「これは……素晴らしいですな」
「へえ、綺麗だねぇ」
「趣味のいいインテリアだな、気に入った」
「金はかかってそうなのにどぎつくねぇってのがいいね。居心地よさそうだ」
「本当ですね。掃除も行き届いてるみたいだし」
 中に入った一行の口から漏れたのは、明らかな感嘆だった。
 内部にはいくつかの部屋と、それらをつなぐ広い廊下があり、その廊下はどうやら、中央にある大広間につながっているらしい。
 やはりデザインは中華風。ただし、映画の原作者が日本人だったこともあって、完全な中国文化というわけではないようだが。
 城内はかなり広々としており、艶のある毛で織られた美しい絨毯がそこかしこに敷き詰められていて、廊下のところどころに、品のいい絵画や色鮮やかな花が活けられた花瓶、蝶を模したランプなどが、センスを感じさせるデザインで配置されている。
 柱や天井や欄干には、精緻で美しい木彫が施されているのだが、これには彩色がされておらず、それがかえって品よく感じられる。
 それらは決してぴかぴかの新品というわけではないようで、中には相当な年代を感じさせる家具も見受けられたが、丁寧に掃除されているのだろう、みすぼらしさを感じることはなかった。
 なんにせよ、ここは、大変美しくはあったが、生活のにおいのする『生きた』家だった。
「すごいねぇ、なんていうか、『ヒトが住んでます』って感じ。見せたり飾ったりするための建物じゃなくて、誰かが生活するための場所なんだね、ここ。なんか、ますます悪人とは思えないなぁ、その大王陛下」
 バロアも感心した。
 居心地のいい家というのは、作ろうと思って作れるものではないと思うからだ。ヒトが住んで、整えて、生活の、日々のにおいを染み込ませてゆくことでしか、『生きた』家にはならないと思うからだ。
 呪いが解けて、研究に没頭できるようになったら、こういう場所を選びたい、とも思う。
「私もそう思う。さて……では、大広間の方へ。大王陛下がおいでだ」
 唯瑞貴に誘われるまま、廊下を真っ直ぐに進んで大広間へ向かう。
 ――この際、身動きするたびに、視界のあちこちでやわらかいベビー・ピンクがふわふわ揺れるのには目をつぶることにして。
 珠を抱いた竜の絵が描かれた、豪放磊落、といった印象の扉を押し開けると、その向こう側には、
「……えーと……?」
「うわ、すげぇな。いい匂いだ」
「美味そうな酒の匂いもする……」
「ワァ、美味しそうなスイーツてんこ盛りダネ! しかもグローバル! ちょっとクレイジー先生、もといシィナ先生テンション上がって来タヨ……!?」
「いち、に、さん、しい……どうやら、行方不明の女性のほとんどがいるようですね。皆さんお元気そうで、よかった」
「大宴会、という印象ですな。しかし楽しそうだ……悪しき気配もありませんし」
「そうだねぇ。それに、円卓というのがいいね、ここの主人は人柄のよい方のようだ」
 ドーナツ型の大きなテーブルを囲んで、二十数名の女たちが、めいめいに腰を下ろし、和気藹々と宴会を楽しんでいた。
 部屋は、大広間というだけに広く、天井は高く、のびのびとした空間で、部屋の隅には作業台のような一角が設けられている。
 つやつやとしたテーブルには、所狭しと美味そうな料理や酒が並んでいて、皿からは暖かな湯気が立ち上っている。あちこちから、食欲を刺激するいい匂いが漂ってくる。
 エンリオウがにこにこ笑って言うように、テーブルが円形であるということは、上座が存在しないということで、すなわち、ここに身分の貴賎は存在しないのだ。
 事実、ムービーファン・ムービースター・エキストラ、様々な出で立ちをした様々な姿かたちの女たちは、種族や立ち位置や出身映画の違いなど歯牙にもかけず、賑やかな笑い声を響かせながら談笑していた。
 決して美女ばかりが集っているわけではなく、中にはおどろおどろしい姿をした異形の女もいたが、姿かたちの違いなど何の関係もなく、誰もが融和した様子は、まるでひとつの家族のように睦まじく感じられた。
 ゆったりと過ごす女たちの中で、たったひとり、忙しく――楽しげに立ち働いている男の姿を認めて、バロアは首をかしげる。
 他の面々も首をかしげていた。
 長身で、筋肉隆々というほどではないもののしっかりと鍛えられた身体つきをした、三十代半ばといった趣の男だ。
 短く切り散らした漆黒の髪と、金が散った青、瑠璃を思わせる美しい目の、精悍さと闊達さとを兼ね添えた男前で、笑うと目尻に皺が寄るのだが、それが思わず笑い返したくなるような愛敬を醸し出している。
 普通の人間ではないと判るのは、瑠璃眼の瞳孔が縦に切れていることと、耳がとがっていること、笑うたびに口元から鋭い牙が覗くこと、そして額から突き出た青い角という、悪魔か妖怪以外の何ものでもない外見的な特徴からだが、たとえ人間ではないと判っても、どうにも警戒心の湧きにくい男だった。外見こそ怖いが、そう感じるのも一瞬のことで、その笑顔を目にしただけでいいヤツだと判ってしまうような雰囲気を持っているのだ。
 足さばきには一切隙がなく、武人としての腕は相当なもののようだが、彼が表情を険しくして戦っている姿は想像しにくい。
「うーん、なんか僕、妖幻大王なんて仰々しい名前だから、絶対太って脂ぎったオッサンだと思ってたんだけど……」
 男性が入れないという不思議な性質上、そこにいるのは妖幻大王その人に違いあるまい。
 その妖幻大王陛下は、円卓の一角で、美女の上半身に竜の下半身という異形の女に、一生懸命皿の料理を勧めているところだった。
「デルピュネー、野菜も食わねば身体によくないぞ」
「ええ……判っているわ。でも、どうしても苦手なのよ。だって私、そもそも竜なんですもの。食べなくても死にはしないわ」
「死なぬかも知れぬが、それが十全というわけでもあるまい。せっかくオレがそなたのために作ったのだ、少しくらいは食ってくれてもいいだろう?」
「まあ……ずるい方ね、そんなことを仰るなんて」
「なんと罵ってくれても構わぬ。野菜というのはな、そなたの美貌を十年二十年と保ってくれるよい薬なのだ。オレはそなたの美に失われてほしくない。だから言うのだ。それに、味わってみれば、案外味わい深いものだぞ」
「……そう……?」
 誠実で真摯な眼差しで、歯の根の浮くような台詞をなんの照れも躊躇もなく言ってのける妖幻大王に、目元を朱に染めた異形の美女が、意を決したように箸を取り、更に盛られた料理を口に運ぶ。
 彼女は、口の中のものを恐る恐る租借したあと、にっこり笑ってうなずいた。
「……ええ、本当ね。美味しいわ、ありがとう」
 その言葉に、男も破顔した。
 開けっぴろげで裏表のない、晴れやかな笑顔だった。
 そのあと、一行が入ってきたことには気づいていたのだろう、やはり隙のない動作で身体の向きを変え、バロアたちに笑顔を見せる。
 よく見ると、手に大きな中華鍋を持っている。部屋の隅の作業台は、よくよく見れば据付のキッチンで、そこから鑑みるに、このテーブル上の料理は妖幻大王が作ったものであるらしい。
 ――目の当たりにすればするほど、たちの悪いヴィランズとは思えなくなる男だ。
「妖霊城へようこそ、新しいお客人。ユズ、お前の友人とはその娘たちのことか?」
「……ああ、そうだ」
「そうか……美人ぞろいだな。まァ、ゆるりとして行くがいい」
 明らかに男口調、敬語もクソもない唯瑞貴に対しても特に構えず、鷹揚にうなずく妖幻大王に、
「あ……は、初めまして、妖幻大王様。あの、ぼ……じゃなくて私は柳沙といいます、お邪魔してます。あの、つまらないものなんですが、これ、お土産です」
 ちょっと緊張しつつ、柳が紙袋を手渡す。ここへ来る前、近所の、やや高級な食材を売っている食料店で買い込んでいたものだ。
 妖幻大王はというと、差し出されたそれを咄嗟に受け取ってしまったあと、しばらくきょとんとしている様子だったが、ややあって声を立てて笑い出した。明るく、真っ直ぐな印象を与える笑い声だった。
「あの……す、すみません、お気に召しませんでしたか」
「いや、違う」
「え?」
「オレのような怪しい男の元へ、まさか土産を持って訪ねてきてくれる人間がいようとは思わなんだ。そなたの心遣い、嬉しく思うぞ、柳沙。何もないところだが、楽しんでいってくれ。――ああ、オレはこの妖霊城の主、妖幻大王真禮(シンラ)という。好きなように呼んでくれ、ここには強制するものは何もない」
 妖幻大王は心底嬉しげに瑠璃の双眸を細め、そう言うと、めいめいに名乗りと挨拶をする一行に、空いている席を指し示した。
 ――鼻をくすぐるいい匂いに、空腹MAX突入寸前だった面々が、喜んで席に着いたのは言うまでもない。
 もちろん、やるべきことを忘れたわけではないが、危険が存在しなさそうなこの状況下である。
 せっかく恥を捨てて女の子になったんだから、少しくらいお相伴に預かってもいいよね、とは、バロアの――そして恐らくこの場に集った諸兄(現在は諸姉だが)の、心からの声だっただろう。



 女装という試練を経て、それを払拭もしくは忘れるほど宴を堪能する人々の中で、エンリオウはにこにこ笑いながらグラスを傾けていた。
 妖幻大王、真禮は、明らかに妖怪然とした姿かたちをしてはいたが、その心根は純粋で思いやり深かった。門にあのような仕掛けをしたのも、無益な争いをしたくないためらしい。
 事実、潜入捜査という名目でここに来た人々は、すでに大王陛下の(主に料理の)虜(とりこ)である。
 真禮は、驚くような量の酒を飲みつつ、機嫌よく、楽しげに、プロ顔負けの料理を作っては女たちに振舞っていた。
 ただ、この場に紗苗の姿はなく、現在唯瑞貴が城内を探索している。ムービーハザードだからなのか、外観から察せられる面積よりも内部が広く、彼はまだ戻らない。
「大王様、このカツレツ美味しすぎるよ! フォークだけで肉が切れるって、すごい……!」
「おお、それはな、Costoletta di vitello alla milanese(ミラノ風子牛のカツレツ)というのだ。そもそもオレは料理が趣味なのだが、ここへ実体化してからは西洋の料理に凝っていてな。フランス料理も華やかでいいが、イタリア料理というのは、素材のうまみを活かすシンプルなものが多くてなかなか趣深いぞ。肉が好きなら、こちらの、Brasato al Barolo(牛肉の赤ワイン・香草煮込み)も試してみるがいい」
「そうと言われたら食べるしかないよね! 今ここに来たことをすっごい感謝したい気持ちだよ、ホント!」
「柳沙、そなたは肉が食えぬのだったな、それならば魚介や野菜を食うといい。何かほしいものがあれば言ってくれ、オレにできることをしよう」
「あ、はい、ありがとうございます……。このトマトのスープ、すっごいクリーミィで美味しいなぁ。どうやって作るんだろ」
「気に入ったのならあとでレシピを渡してやろう。案外簡単だぞ」
「なぁなぁ、真禮さん。俺、激辛の料理が食いてぇんだけど! さっきのチリ&ペッパーステーキみてぇなの。もっと辛くてもいいな」
「ふむ、いいだろう。あまりの辛さに飛び上がるようなヤツを作ってやる、少々待て」
「やったね。いやー、しかし料理が趣味で、しかも腕がプロ級って妖怪もそうそういねぇよな。つーか、せっかくそんなすげぇ腕持ってるんだから、どうせなら女の子向きの居酒屋とか開けばいいのに。絶対流行るぜ」
「ふむ……それはなかなか楽しそうだ。たくさんの女たちと触れ合えそうだしな、一考に値するぞ」
「だろ? しかし、なんか、すげぇ得した気分。酒も美味いし、来てよかった。なぁ、シャノ……もとい、シャナーン?」
「うむ……色々主張したいことがあるのも確かだが、この際それには目をつぶろう。ここの酒は絶品だ、よくこんな逸品ばかり集めたな」
「そうか、それはよかった。気に入ったのなら土産に持って帰れ、地下室に山と積んである」
「それは本当か? ならいただいて帰ろう……というか、ちょくちょくここに飲みに来たい気分だな、つまみも美味いし」
「まぁ、それもこの格好で来れば、の話だけどな」
「問題はそこだ……」
「大王陛下、ボク生クリームてんこ盛りのジェラートが食べたいデス! 今の季節ナラ苺味とか美味しいカナ?」
「シィナは甘いものが好きなのだな、判った、持って来よう」
「ウン、大好きだヨ! 何せボクの主食は甘いものだからネ!」
「くれ……じゃなくてシィナ先生の主食って濃いよねー。僕にはちょっと真似できないかも」
「バロナクンもやってみたら? 結構ハマると思うヨ?」
「いい、遠慮する。――あ、そこの羽根生えたおねーさん、悪いんだけど、キノコのリゾット取ってくんない? うん、どうもありがと。うーん、これも美味しそうだなー」
 メンバーたちがめいめいに、好き勝手かつ盛大に飲食を楽しむ中、エンリオウは隣の娘さんと、ワインを注いだり注がれたりしながらほのぼのとした会話を交わしていた。
 聞けば、ムービーファンの彼女は、同棲している恋人と大喧嘩をして家を飛び出したあと、寂しくなって町を歩いていたら、何故か誘われるようにここへ辿り着き、以降一週間ばかり滞在しているらしい。
 ここに来て仲良くなったほかの女たちも、同じように、何か辛い気持ちを抱えていたところ、いつの間にかこの場所にいたのだという。
 どうやらこの妖霊城は、寂しいとか哀しいとか、そういう思いでいる女性を引き寄せる性質を持つムービーハザードのようだ。
 そしてここに滞在した女性たちは、美味しい料理や温かなふれあいで気持ちが楽になれば、いずれ帰る場所を思い出して暇を請うのだという。
 帰ってきた女たちとは、つまり、ここで心を癒された女たちなのだ。
 妖霊城などというおどろおどろしい名前を持ちながら、ここは明らかに、善玉のムービーハザードであり、癒しの場所だった。女性および女性の出で立ちをしたもののみ、という限定的な部分はあるが。
 なんにせよ、エンリオウたちが何か行動を起こさずとも、女たちは、胸に抱えた傷や寂しさが癒えれば、自然と元いたところへ帰るだろう。
 そんな確信がエンリオウにはあった。
「そうかぁ、裕子君は彼氏さんが判ってくれなくて寂しかったんだねぇ。どうだろう、もう気持ちは楽になったかな?」
「ええ。ここでね、皆に話を聞いてもらって、慰めやアドバイスをもらったら、私もわがままだったんだなぁって思うようになったの。仕事もあるし、あの人も心配しているだろうから、もう少ししたら帰るつもり。エンリさんは?」
「そうだねぇ、ここは確かに、とてもいい雰囲気だからねぇ」
「こんな素敵なムービーハザードが実体化してくれて本当によかったと思う。そういえば、エンリさんはどうしてここに来たの? 恋人と喧嘩をして?」
 くるくると表情の変わる、コケティッシュな眼差しに見つめられ、エンリオウはゆったりと微笑んだ。
「んん……そうだねぇ、世界中で一番愛した人は、もうこの世にはいないからねぇ」
「あ……ごめんなさい」
「いや、責めるつもりはないよ、わたしはあの人を愛していたし、あの人もわたしを愛してくれた。それが判っていれば、怖いことはないよねぇ?」
「……ええ」
 恋人のことを思い出しているのか、目元を和ませて娘がうなずく。
「帰ったら、謝らなくっちゃ。許してくれるかしら」
「きっと大丈夫だよ、判ってくれる」
「そうね」
 穏やかな微笑をかわすふたりの隣では、純白の天使と『楽園』の人々に称されていたアル、もとい本気☆狩る仮面あーるが、この場に集った女たちがもっとも好んで飲んでいる果実酒を口にしていた。
 驚いた顔をしているのは、よほど美味だったかららしい。
 事実、馥郁と漂ってくる香りは、この世のものとも思えないほど甘く、やわらかく、そして華やかだった。
 その酒を手に、目元をほんの少し朱に染めるあーる、白で彩られた白い美少年、もとい美少女は、本人はどう思っているかは判らないが、白に覆われているからというだけではなく、清楚で清冽で、どこか気高く神聖ですらあった。
 などと、本人に向かって言えば、顔を赤くして狼狽するのだろうが。
「こんな薫り高いお酒は飲んだことがありません。なんという名前なのですか?」
「名はないが、オレの奥が、親友の西王母から分けてもらった仙桃を蒸留酒に漬けて作ったのだ。漬け込んでから二百年が経っているからな、これ以上の酒はないとオレも自負している。仙桃は霊力を秘めた果実だ、飲むと心が優しく、穏やかになるようだぞ」
「そうなのですか……確かに、気持ちがふんわりします。しかし、奥とは奥方のことですよね? 彼女は、どこに?」
 何気ないあーるの問いかけに真禮が浮かべたのは、紛れもない悼みだった。
 精悍に整った顔に、過去を懐かしむ色彩が揺れる。
 それですべてを察したあーるが目を伏せた。
「……申し訳ありません」
「いや、構うな。気にせんでくれ。奥が身罷ってもう百年になる。あれがここにおらぬことを寂しく思う気持ちに変わりはないが、オレには他にも大切なものがある。奥もオレが悲嘆に暮れることを望んではいるまい。……それでいいと思う」
 きっぱりとした物言いは誇り高く、そして身罷った奥方への愛情に満ちていた。妖怪だろうがなんだろうが、ふたりが仲睦まじく、互いを思い合っていただろうことは手に取るように判る。
 その気持ちには覚えがあって、エンリオウはひっそりと微笑する。
 無償の愛に育まれた優しい気持ち、愛しいという思いは、自分も返したい、誰かに与えたいという思いに変わるものなのだ。
 他者を愛したいと思える真禮は、きっと、奥方にたくさんの愛をもらってきたのだろう。
 だとしたら、女好きという表現は正しくない。彼は真に、女という性を大切にしているだけなのだから。
 事実、真禮は女たちの肩を抱いたり頬に口付けたり髪に触れたりといったスキンシップをよくしていたが――ゴスロリ三姉妹及び春色お嬢様もその洗礼を受けている――、それが傍から見ていて少しも不快ではないのは、そこに肉欲という生々しい欲望が含まれていないことが判るからだ。
「ああ……だからか」
 ぽつりとつぶやいたのは、年代物のブランデーが入ったグラスを手にしたシャノンだ。グラスの中で、水晶のような氷がカラリと揺れた。
 彼の色鮮やかな緑眼にも、真禮と同じような悼みの光がある。
「あんたと、この場所が、女に優しいのは」
 真禮が微苦笑した。それからうなずく。
「そもそも、自慢ではないがオレは女に警戒心や敵対心を持たれにくいタチなのだ。能力といってもいい。女はオレに優しいし、親切だ。親切にしてもらったら、善意を返すしかないだろう」
「……なるほど。それで女は出入り自由なのか。あんたは……いいやつだな」
「よしてくれ、恥ずかしい。だが……悪い気はしないな」
 言った真禮がかすかに笑うのへ、これなら正面から尋ねた方が早いと踏んだのだろう、となりの美人OLにオレンジジュースを注いでもらっていた柳が、グラスを手にしたまま立ち上がった。
「あの、真禮さん」
「ん、どうした、柳沙」
「ぼ……私たち、人を探しているんですが、ここに紗苗という人が来ていませんか? 私と同じような背格好のムービースターらしいんですが」
「ああ、紗苗か。そうか、そなたらはあれの知り合いなのか。確かにいるぞ……と、おや、ここにはいないな。先ほどまでは姿があったと思うのだが。そなたら、誰ぞ、あの娘がどこに行ったのか知らぬか?」
 真禮が問いかけると、あちこちから、風に当たりに行ったとか、そろそろ帰らないと、とつぶやいているのを聞いたとか、来たときよりも元気になったみたいとか、そういう声が上がる。
「だ、そうだ。じきに戻るだろうが……なんなら城内を探してくれても構わんぞ」
 妖幻大王の申し出に、そもそもの目的を思い出した面々が立ち上がりかけた、そのときだった。

「きゃ――――――っっ!!」

 甲高い悲鳴、まだ若い女性のものと判るそれが響いた。
 声は、廊下の方からだ。
「……?」
 人々が顔を見合わせる中、

「おとなしくしろ……逆らわねば殺しはしない! 女、お前は動くな、この娘の命が補償できなくなるぞ!」

 猛々しく響いたのは、紛れもない、男の声。
 いくつかの、明らかに男性と思しき気配が敵意という名の闘志を持って現れる。
 そして、誰かが歯噛みする気配。

「……また来たのか。懲りぬやつらだな……」
 妖幻大王が呆れたように、少し疲れたようにつぶやく。
「オレは確かに魔だが、ヒトに敵対するつもりなどないと何度も言うておるだろうに」
 やれやれ。そんな風に息を吐き、不安げに視線を向けあう女たちを安心させるように笑ってみせた真禮が、
「案ずるな、そなたらに害は加えさせぬ」
 大きな扉に向かって歩き出したその背を、目配せを交わした七人が追ったのはいうまでもない。



 シャノンは複雑な気持ちだった。
「……確か、ここは女しか入れないんじゃなかったのか……?」
 そのために、彼は女王陛下のコスプレに身を包む羽目になったのだ。
 ここに来たお陰で色々得はしたが、その一点のみ、釈然としない。
 『楽園』経由でここに来た誰もがそう思っているだろう(エンリオウ除く)。
 しかし。
「なんで、明らかにどこからどう見ても男です、ってヤツが堂々といるんだよ。あいつらみてぇに普通に入れるんなら、俺らがこんな苦労をする必要なかったんじゃねぇのか……?」
 剛政がぼやくとおり、広々とした廊下には、いかつい甲冑に身を包んだいかつい男たちがたたずんでいる。男の一人は、もがく少女を羽交い絞めにしていた。雰囲気が柳と似ているところからして、彼女が、鎌鼬の言う主人、紗苗だろう。
 紗苗は、決してぱっと人目を惹く美少女というわけではなかったが、芯の強そうな顔立ちと、理知的な瞳の持ち主だった。
 その紗苗を人質にされて歯噛みしているのは、美人女子大生風衣装に身を包んだままの唯瑞貴だ。
 男たちは全部で十人、全員が身にまとった甲冑は多分にアジア的なデザインで、古いインドを思わせるし、男たちの顔立ちもまたアジア的だった。
 しかし、それよりも何よりも、まず、何故普通の『男』が城内に侵入できているのかという疑念が先立つシャノンである。それが出来るなら、シャノンとて、こんな、人目をはばかるような、恥まっしぐらな姿をさらす必要はなかったのだ。
 無論、妖幻大王の人柄を理解するにつけ、無理やり押し入っていなくてよかったと思いはするが、それは結果論なのである。
「吹聴して回った覚えもないゆえ、知らぬものの方が多いだろうが、正直、男の出で立ちでは入れぬようになっているのはあの門扉だけだからな。あとは、城壁を乗り越えすらすれば出入りは自由だ」
 なので、真禮にあっけらかんとそう言われては呻くしかない。
「何故そのような面倒なことを……」
「来訪者の人柄が判るだろう」
「え?」
「どういうことだ?」
「無理やり押し入ろうとするか、それならばと変装して入ろうとするかで、やって来た物の心根のありようが判る。――そなたたちのように」
 瑠璃の双眸がゆっくりと細められる。
 何故判った、などと言って墓穴を掘るつもりはないが、どうやらばれていたらしい。
「ああ、別に責める気はないのだ。オレは確かに女を愛しているが、男が嫌いというわけではない。男が入れぬようにしているのも、彼奴らが鬱陶しいからであって、それ以外の思いはないのだ」
 少女を羽交い絞めにする男たち、厳しくも神々しい雰囲気を持った戦士たちから視線は外さぬまま、真禮が肩をすくめてみせる。
「結論を言うなら、オレは、そなたたちがここに来てくれたことが嬉しい」
 静かで穏やかな断言。
 牙ののぞく口元に浮かべられた笑みは、出会ってたかだか数時間の彼らですら、真禮の人となりを真実理解できるような、そして性別関係なく惹きつけられるような、魅力的なものだった。
 だが、その微笑ましいやりとりなど眼中にない風情で、
「何をごちゃごちゃ話している、忌々しい神敵、邪悪な仏敵め!」
 男の一人が轟と吼えた。
 真禮が顔をしかめる。
「火天アグニとその一党か……面倒臭いのが来たものだ」
「あれ……それって確か、仏法の守護を司る十二天のひとりじゃなかったですか。胎蔵界曼荼羅の外金剛部院に配されてる神様ですよね……?」
「おや、柳沙は物知りだな。その通り、上下・日月・四方・四維を守護する十二天が一柱で、アグニは南東を守護する天部だ」
「冷静だねぇ大王陛下。なんか、向こうさんは殺る気満々みたいだけど、いいの?」
「映画の中でもいつものことだったからな」
「つーか、俺としてはなんであんたみてぇにいいやつが命を狙われてんのかが不思議で仕方ねぇんだけど」
「ふむ、いいやつと言ってもらえるのは面映いことだが、彼奴らにしてみればオレは邪悪な妖怪なのだ。そう生まれてしまったのだから仕方がない、この場合性質は関係ないのだろうな」
 苦笑と溜め息の入り混じった声で真禮が言うのと同時に、阿耆尼、火仙、火光尊とも称される仏法守護神が、腰から剣を引き抜いた。両端に刃のあるそれは、独鈷杵という法具に似ていた。
 アグニの朱眼が真禮を見据える。
「我らにも慈悲はある、貴様がおとなしく首を差し出すというのなら、女たちは逃がしてやってもいい。だが、逆らうというのなら」
 その言葉とともに、アグニの周囲を黄金の炎が渦巻き、熱気を撒き散らした。金の火に毛先を焦がされでもしたのか、紗苗が小さく悲鳴を上げる。
 真禮が苦笑する。
「判った判った。好きにすればいい。だから、その娘は離してやってくれ、どうやら彼女の帰りを待つ者がいるらしいのだ」
 まるで子供でもあやすように言い、真禮が近づく。
「え……真禮様、それは、」
 眼を見開いた紗苗が何か言おうとするのをさえぎって、火天アグニの黄金炎が真禮を包み込もうとした。火は幻想的な美しさを持っていたが、じりじりとした熱は本物で、それに焼かれて無事ではいられないだろう凶悪さも伴っていた。
 真禮にそれを避けようという意識はないらしかった。
 ――あるいは、諦観、なのかもしれない。
「いけません、真禮様! 逃げて!」
 紗苗が悲鳴を上げる。
 火は今にも真禮の身体に絡みつきそうだ。

 しかし。

『立て、水辺の鮮烈。煌々と、滔々と。青の漣舞のごとくに』

 優美な声が凛と響いた瞬間、真禮の周囲から、清冽な銀色をした水が湧き上がり、帆布のようにはためいて、彼を焦がそうとした黄金火をあっという間に消滅させてしまった。
 ふわり、と、清らかな水の香りが周囲を漂った。
「な……!?」
 アグニが驚愕の声を上げる。
「ダメだよ、そんなことをしちゃ。彼がいなくなったら泣く人がいるからねぇ」
 印を切った姿勢のまま、おっとりと笑うのは、わずかな詠唱で水の防御魔法を紡いだエンリオウだ。彼の周囲を、真珠や水晶のような水滴がふわふわと舞い踊っている。
 デキるOL姿のままなのだが、その立ち居振る舞いや仕草、眼差しは、優美で誇り高い魔法騎士そのものだった。
 ――それと同時に、皆が動いていた。
「生まれだの種族だのだけで、一体そいつの何が判る。盲目的な思考は無駄で、無粋だ」
 シャノンは低く吐き捨てると、瞬きの間に、隠し持っていた拳銃を構えた。
 そして、紗苗を羽交い絞めにしている男が反応し切れなかったほどの速さで引き鉄を引き、彼の肩口を打ち抜く。
 耳をつんざくような轟音に、紗苗は眼を丸くしていたが、肝の据わったタチらしく、怯えてはいないようだった。
 事実、自分を捕らえる男が後方に吹っ飛ぶや否や、タイミングを見計らってアグニたちから身をかわし、こちらへ走ってくる。普通、拳銃の音など身近で聞けばしばらく呆然とするものだが、なかなかの傑物である。
「こら、ま……待て!」
 背後から再度彼女を捕らえようと腕を伸ばした男を、素早く間に割り込んだ唯瑞貴が殴り倒す。
「おや……強いのだな、そなたらは」
 大物なのかのんきなだけなのか、まったくもって緊迫感のない妖幻大王と、こちら側に辿り着い紗苗を守るように、バロアと柳がその前に立ち、血相を変えてこちらへ向かってくる男たちを、拳をパキパキ鳴らした剛政とシャノンとクレイジー・ティーチャーが迎え撃つ。
「よし、ここでストレスのひとつも解消しとくか! あいつらをジジイだと思って殴ってやる」
「それに、こんなに美味しいスイーツをタンノウさせてもらったんだ、恩は返さなくちゃネ! 義理堅い殺人鬼を目指すボクとしては、ここは行っとかナキャ駄目でショ!」
「……義理堅い殺人鬼というのもどうかとは思うが、そうだな、美味い酒も飲ませてもらったからな。それに、ストレス云々に関しては俺も同感だ。むしろこの姿を見られたからには生かして帰さんというか何というか」
 物騒な言葉とともに銃を確かめるシャノンだったが、
「ああ、盛り上がっているところを悪いのだがな。そなたらが彼奴らを凌駕する実力の持ち主と見込んで頼むのだが、出来れば殺さないでやってくれ」
 穏やかな、というかのんきにすぎる真禮にそう言われて溜め息をついた。自分の命が狙われているという自覚はあるのだろうか、と思う。
「あんたを殺そうとしているんだぞ、こいつらは」
「それは判っているが。だが、オレは無益な殺生は好かぬ。彼奴らが死んでも泣く者がいるだろう。オレはそんな哀しみの連鎖を作りたくはないのだ」
「……まったく……」
 どこまでもヒトの好い、どう考えても配役ミスとしか思えない妖怪陛下の物言いに心底呆れつつ、しかしシャノンは銃をしまった。生かして捕らえる難しさを理解していないわけではないのだが、仕方がない、と思ってしまったのは事実だ。
 気のいい、無償の愛のなんたるかを理解している人物の顔が、哀しみに曇る様は見たくない、と思ったのだ。
「それに、まぁ」
 きつく固めた拳で、火天配下の男の頬を打ち据えながらシャノンは嘯(うそぶ)く。
「俺は優秀だ、その程度のことも実践できないようでは困るからな」
 鈍い打擲音とともに吹っ飛んだ男が、眼を回して引っ繰り返るのを見届け、うっすらと笑う。
 ――彼と張り合おうと思ったのが間違いだ。
 同じく、剛政の拳が火天配下の武将の腹や顔を捉え、易々と吹き飛ばす。悪魔の従僕として高い身体能力を持つ彼だ、その一撃は重く、そして正確だ。
 手加減ってちょっとストレスたまるヨネー、などと言いつつ、クレイジー・ティーチャーが他の武将たちを薙ぎ倒して行く。
 吹き飛ばされた男たちは、うめき声を上げる暇もなく失神し、折り重なるように倒れていた。
「くっ……まさか、仏敵に与(くみ)する愚か者がいようとは……!」
 最後に残ったのは、火天アグニただひとり。
「さーて、あんたはどうする? あんたひとりじゃ、不利なんじゃねぇかな」
 にやりと笑った剛政が拳を鳴らしてみせると、アグニは怨嗟のこもった目で彼(今は彼女だが)を睨み据えた。
「おのれ……!」
 呻いたアグニが、再度黄金火を出そうと思ったのか、右手で印を切ろうとしたところで、その前に『純白の天使』が立ちはだかった。
 顔には、いつの間にか深紅の蝶をかたちどった仮面が装着されている。
「どけ、小娘! 貴様も焼き尽くされたいか!」
 アグニが声を荒らげても、あーるはその場から離れようとしなかったが、何故か、足元がおぼついていない。
 それでも隙だらけには見えないのがすごいところだが。
 様子を伺っていたバロアが首をかしげた。
「……あれ、なんかアル……じゃなくてルビア、酔っ払ってない?」
「ああ、そういえば。足取りが明らかに酔っ払いですね」
「そういえば、かなり仙桃酒を飲んでいたな。あれは口当たりこそいいが、アルコール度数で言うならブランデーと同じくらいキツいのだ」
「なるほど、じゃあ今完全に出来上がってる状態ってことだね」
「の、ようだな。だが可愛らしいではないか、頬が桃色になって」
「本当に、うらやましいくらい可愛い子ですね。私もあれくらいの美少女に生まれていればなぁ」
「それ、ルビアの前では言わない方がいいよ、世を儚んでガス管咥えかねないから。……ガスじゃ死ねないだろうけど」
 バロアが、真禮と紗苗のしみじみとした言葉にぼそりと突っ込む。
「し……真禮さんはよい方れ、です、……そんな方を、きけ、危険な、目に、あわ、あわしぇ……あわせるわけには参りません!」
 その間にも、あーるは、やや呂律の回らない口調で、
「ま、本気☆狩る仮面、あーる、改め、らぶりー☆仮面ルビア、この絶対領域に命をかけて! 守ってみせます、夢と希望をっ!!」
 素面のアルが耳にしたらその場で首をくくるんじゃないか、というような台詞を口にして、アグニの懐へと突っ込んでゆく。
 笑止、貴様ごときに、と、アグニが嘲笑う暇も与えず、酔っ払いとは思えない素早さ、彼が防御にも攻撃にも移れなかったほどの速度で間合いに入り込むと、
「食らえ、必殺! らぶりー☆じぇのさいどなっくる!」
 いやいやそれ全然らぶりーじゃないから、というような、可愛らしいように見えて実は恐ろしくゴツい必殺技の名前を叫ぶと同時に、固めた拳でアグニを殴り飛ばした。
 ごすっ、という鈍い音がして、
「ぐ……!?」
 名前こそアレだが、あーるは細身で小柄な姿かたちに似合わぬ怪力を持つムービースターである。その一撃をまともに食らって、アグニは軽く十メートルを吹っ飛び、壁に激突してそのまま動かなくなった。
 どうやら眼を回したらしい。
「おお、すごいな、らぶりー☆仮面」
「銀幕市にはそんなヒーロー? ヒロイン? がいるんですねー。うーん、素敵!」
 まったくもって本気で言っているらしい真禮と紗苗が、並んで盛んな拍手を送る中、本気☆狩る仮面改めらぶりー☆仮面の称号を得た純白の美少年(現美少女)は、頬を上気させて一同を見渡したあと、
「……それでは皆さんおやすみなさい……」
 ふにゃーっと相好を崩すや否や、そのままその場に沈没した。
 そして、一行が見守る中、静かな寝息を立て始める。
 一瞬、沈黙が落ちた。
「あー……まぁ、めでたしめでたし、かな?」
 なんとも言えない表情で剛政が言うと、苦笑したバロアがうなずいた。
「終わりよければすべてよし、ってことだね」
「……そういうことにしておくのが一番カナァ」
「うん、誰も怪我がなくてよかったねぇ」
「真禮、こいつらはあんたに任せていいのか? どうせまた来ると思うぞ?」
「そうだな、まァ、そのときはそのときだ。ひとまず外に放り出しておくとしよう」
「せめてもう少し警備を厳しくしろよ、対策課を通じて護衛を雇うとかな」
「おお、それは一考に値する案だな」
「あ、毎日スイーツ食べさせてくれるならボクやってもいいヨ?」
「ふむ、考えておこう」
 騒動が収束したことを理解してか、大広間の扉がゆっくり開き、息をひそめて様子を伺っていた女たちが恐る恐る顔を覗かせる。
 それから、真禮の無事な姿を眼にして安堵の表情を浮かべた。
「あ、そうだ、紗苗さん」
「はい? ……あれ、どうして私の名前を?」
「ええと……詳しいことはまたあとで、ということで。一郎と次郎と三郎が君を待ってるんだ、一緒に帰ろう?」
「あの子たち、実体化したの!? 私、あの子たちと一緒に実体化できなくて、あんまり寂しいからここに来たんだけど……大変、早く帰らなきゃ!」
 柳が鎌鼬たちの名前を出すと、紗苗はパッと目を輝かせ、それから慌て始めた。
「ごめんなさい、真禮様、私帰らなきゃ。たくさん親切にしてくださってどうもありがとうございました」
 言って深々とお辞儀をする紗苗を、真禮が穏やかな目で見つめている。
「なに、オレも楽しかった、礼なぞ要らぬ。いつでも来てくれ、歓迎するからな」
「はいっ!」
 バタバタと、大慌てで、大急ぎで帰る準備を始める紗苗の背を見送ったあと、真禮は潜入捜査員八人(うち一人沈没中)を交互に見やり、楽しげに笑った。
「せっかくの縁だ、そなたらもまた遊びに来てくれよ。そなたらならば、いかような格好で壁を越えて入ってきてくれても構わぬゆえな」
 返るのは、苦笑やうなずき、約束の言葉だ。
 ここに危険がないことは今や明白で、城主の人柄のよさも保証され、求める尋ね人が見つかった現在、彼らの『仕事』は終了したも同然だったが、もう少しここで、心地よい穏やかさを味わっていたいという思いがあったのも事実だった。
「んじゃ、お言葉に甘えて来させてもらうかな。あ、そだ、今度ハバネロってすげぇ辛い唐辛子持ってくるから、それでなんか作ってくれよ。あんたの激辛料理、最高だったわ」
「なら俺は酒を飲みにくる。そうだな、土産に美味いつまみでも持ってくるよ、あんたが知らないような面白いやつを」
「美味しいご飯、どうもありがとう大王陛下! 今度はうちの居候とか連れてくるから、そいつにも食べさせてやってよ。あんまり美味しくて絶対目を白黒させると思うなー」
「大勢でお邪魔してすみませんでした。あの……ありがとうございました、楽しかったです。ええと、あの、また遊びに来ますね」
「真禮クンのスイーツは絶品だったネ! シィナ先生感激ダヨ! 機会があったらまたよろしくネ、っていうカ絶対来るカラネ!」
「んん……とても楽しい時間を過ごさせてもらったよ、どうもありがとう。ここはいい場所だね、心が穏やかになる。この佳き場に、末永く幸いのあらんことを願うよ」
 絶賛爆睡中のあーるを、いわゆるお姫様抱っこで抱き上げたエンリオウが、穏やかな笑顔とともにそう言うと、真禮は晴れやかに笑ってうなずいた。少年のような、邪気のない笑みだった。
 そこへ、
「皆さんごめんなさい、準備できましたっ!」
 大した量もない荷物を手に、紗苗が駆けてくる。
 柳が笑って踵を返し、他の面々もそれに倣う。
「じゃあ紗苗さん、行こうか。鎌鼬たちは『楽園』というカフェで保護されてるから、そこに案内するよ」
「はい、ありがとうございます、よろしくお願いします。真禮様、本当にどうもありがとうございました!」
「うむ、達者でな。身体には気をつけるのだぞ」
「はいっ」
「やれやれ……これにて一件落着、だね。あいつら、喜ぶだろうなぁ」
「ア、そうだ! 帰ったら『楽園』の食べ放題券もらわなくッチャ! あー、今から血沸き肉踊るヨネ!」
「まだ甘いもん食うのかよ……さすがはスイーツイーター」
「エ、当然デショそんなの」
「しかし……帰ったらようやくこの姿から開放されるのか……。短かったような、長かったような」
「一日でどっと疲れたよ僕は。帰りに知り合いに会わないよう気をつけたいところだよね」
 何度か背後を振り返り、名残惜しげに手を振る女たちや、遠ざかる背中を見守る真禮に手を振り返して、妖霊城を後にする。
 外は、日没間近の赤い空だ。
 風は少し冷たかったが、別に寒くはない。
 心に、ほんの少し温かいものが差したからかもしれない。
 これはこれで稀有な経験だったな、と、シャノンは胸中につぶやいた。

 銀幕市は、今日も様々な奇跡に満ちている。



 ――カフェ『楽園』にて感動の再会劇が演じられるのはそこから三十分後、料理上手で男前なシェフを得て、『楽園』が週に一回ディナー・パーティを開くようになるのがそこから十日後のことである。

クリエイターコメントえー、大変お待たせいたしました。特濃イロモノコメディ(何て嫌なジャンル分け)シナリオ「妖幻大王と装う人々」をお届けいたします。

ウチの女王陛下と愉快な仲間たちの大☆暴☆走のお陰で、参加者の皆さまにはかなりの試練を強いてしまいましたが……少しでも楽しんでいただければ幸いです。

皆さまのヲトコ気あふるる濃ゆいプレイングのお陰で、大変楽しく書かせていただきました。皆さん素敵すぎ。懲りずにまたやりたいです。次はカフェ『楽園』でメイド風コスプレか……?

なお、今回、私事で納入予定日を過ぎてしまいましたことをお詫び申し上げるとともに、それに対して温かいお言葉を下さった方々に伏して御礼申し上げます。

そして、参加者の皆さまには、ブログ「いぬのあしあと。」にてコメント申し上げる予定ですので、よろしければ覗きに来てやってくださいませ。


それでは、ご参加及びご読了ありがとうございました。また次のシナリオでお会いしましょう。
公開日時2007-03-23(金) 23:00
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